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【漂流(吉村昭)】を読んだ感想(ネタバレあり)

以前私は伊豆大島に行った時に、昔そこが流刑地であったことを知りました。

人々が穏やかで、豊かな自然に溢れるその島にそのような歴史があったということは衝撃的でした。

そこから島というのは、人間が歩いてたどり着けないという特徴により、壮絶な歴史を持っているということに気がつき、この本を読んでみようと思いました。

概要

江戸時代、土佐に住む船乗りの長平ら4人が黒潮により、伊豆諸島よりも南にある無人島・鳥島にたどり着く。そこで仲間の死亡、食糧不足、救助が来ないという常人では耐えられないほどの大きな困難を乗り越えながら12年の歳月を過ごす。そして長平らの後に流れ着いた船乗りとともに力を合わせ、試行錯誤を繰り返し生還する、事実に基づいた物語。(発売年:1980年)

本を読んで得られるもの

周りにある当たり前にありがたみを感じる

この本を読んで、現代の一般的な生活に大きなありがたみを感じられました。その中でも特に考えさせられたのは以下です。


仲間がいること

本書の中で、無人島で主人公の長平の仲間が皆亡くなってしまい、島で独りになってしまいます。そこで長平は、仲間がいなくなった淋しさと誰も助けに来ないという事実により自ら命を断とうとしました。

私たちの周りには必ず人がいます。もし家族がいない、友達がいないとしても、同じ大地に住む人間はいます。その人間たちが仕事を分担し、支え合い、生きていくことができています。

また離れていたとしても、スマホで簡単に家族や友達が連絡が取れます。

そのようなことを幸せに感じました。



水、食料があること

船が遭難し流されたときや、無人島生活での飲水はすべてでした。
彼らは雨が降ると「恵みの雨だ」と言って喜び、安心します。

一般的な生活では、水は蛇口をひねるとすぐに出てくるので、水の確保に苦労することはあまりありません。水が元々雨であることを忘れるくらいです。雨が降ると傘を刺さなくてはならず、億劫な気分になります。

また、長平らが上陸した無人島の食料は、渡り鳥の肉、貝、数少ない魚くらいしかありませんでした。渡り鳥が島にいない間は、干物にしておいた渡り鳥の肉を食べていました。最初のうちは火種もないためすべて生で食べていました。

私たちの多くは、スーパーに行くと簡単に豊富な食材を手に入れることができます。暖かくて美味しいご飯を食べることができます。

このように便利になった世の中や食材など、多くのものに感謝し、大切にしていきたいと思いました。



進化した乗り物に乗れる時代

江戸時代の長平らが生きていた時は、幕府の鎖国政策により千石船というシケに弱い沿岸航海のみに適した船を推奨されていました。日本人が異国に行くことを恐れていたからです。それにより多くの船乗りはシケにより遭難してしまいました。

今は鎖国もしておらず、飛行機や船に乗って安全に島や海外に行くことができます。事故に遭うようなことがあればすぐにニュースになります。

歴史上の数多くの人たちが今の便利で安全な世の中を作ってくれたため、感謝の気持ちが湧いてきました。


無人島生活で必要なこと


サバイバル術

本書の中で、下記の無人島生活でのサバイバル術を知ることができます。

  • 渡り鳥がいない時期の食料として、渡り鳥を干物にする
  • 渡り鳥の脂の部分を傷薬とする
  • 渡り鳥の羽で衣服を作る
  • 栄養が偏らないようにできるだけ多くの種類を食す
  • 小豆でお酒を作る
  • 沖に流れ着いたイカリを熱し、船を作るための釘を作る
  • 貝、海藻、土、藁などを混ぜて壁材を作り、水漏れしない池を作る

長平だけでなく、彼の後に島に流れ着いた船乗りたちの知恵や技術により、最終的に帰還することができます。

私は火起こしも、火で米を炊くこともできません。便利はサバイバル力が高まらないという弊害もあると感じました。昔の生活を学び、困難な状況でも生き抜く力をつけたいと思いました。



神の御加護を信じる

長平が、黒潮に流される、食料がないなどの絶望的な状況でも諦めず、仲間が亡くなっても生き続けることができたのは、強い精神力のおかげだと思います。その精神力の支えとなったのが、念仏を唱えることでした。

私は無宗教のようなものなので、日常で神に何かを祈ることはありません。あまり神という存在を信じていませんでした。そのため、彼が苦境に立たされると神に祈ったり、念仏を唱えるということは不思議に感じました。

しかし、長平は念仏を唱えることにより、安らぎを得るというシーンが複数ありました。

宗教に入りたいということではなく、苦境に立たされたときに神を信じることで楽になれるのであれば、信じてみようと思いました。


運動の大切さ

本書の中で、長平らの仲間は食料が確保してある状態のため、一日中寝転んで体を動かさずに過ごしているシーンがあります。そのような生活をしているうちに体が激しい痛みに襲われるようになり、徐々に衰弱し、亡くなってしまいます。

長平は本書で以下の様に述べています。

体を動かさぬと、差しさわりがおこる。人間というものは、働かねばならぬようにできているのだ。

無人島での生活は渡り鳥の肉と貝のみで栄養が偏っていたことが、死の大きな原因です。しかし長平は自ら心がけて運動をすることで、仲間のように死に至ることはありませんでした。



現代は力仕事が減っており、一日中デスクワークをしているという方が多いと思います。(私もその一人です。)さらに近年はコロナにより家で過ごす時間が多くなっています。

体を動かさないということは、病気にかかるリスクが高まるというデータもあり、大袈裟に言うと本書のように死に関係してきます。

長平の言葉を忘れずに、こまめに運動をして過ごそうと思いました。


さいごに

本書は江戸時代の話ですが、聞き馴染みのない言葉には説明が入っており、すらすら読むことができました。

長平の経験したことはあまりにも過酷で、私まで辛い気持ちになりましたが、生きているありがたみを存分に感じられます。